タイの洪水の話(2)工場浸水~復旧の決断:時間のない中、直感的に決めたことは正しかったのか

ものづくりの話

2011年10月 私46歳の時、タイですごい洪水があり、

この時、担当していた工場も被害にあい、建物の中で約1.6m浸水しました

水が引くまでに、約2か月

その後、多くの人の努力で、工業団地内で最速の復旧を行うことができました

洪水~復旧までの経緯とその中で経験したこと、学んだことをブログに残したいと思います

今回は浸水~元の地で復旧する決断するまでついて話します

浸水直後

2011年10月18日 

工場団地に水が浸入し、私の工場も1.6mまで浸水しました

タイの洪水の話(1)工場浸水まで:日本の常識とタイの常識は違う
2011年10月 タイですごい洪水がありました。私の担当していた工場も約1.6m浸水しました。洪水の経緯とその中で経験したこと、学んだことをブログに残したいと思います。今回は洪水の情報を聞いた時から、浸水まで。

浸水当日、何とか自宅に戻ったものの、次に何をするか、全く思いつきません

・従業員はどう過ごしている、どう対応したらいい

・設備はどうなる、建物は

・お客様の対応は

・水は、いつなくなる

・工場の状況は

何にもわかりません

とりあえず、日本人出向者を集め、バンコクにあるグループ会社の事務所を借りて、何をするか、会議しました

結局何をしたらよいか、全く想像つかず、1日1回バンコクが浸水するまでは、情報交換のために集まることだけ決め

結論「しばらく様子をみる」とし、

まずは、全員の身の安全を図ることを注意し解散

唯一、建物の復旧が必要なことは間違いないので、ゼネコンにアポを取ることだけ行いました

少しラッキーだったのは、

・前年に新建屋を建てたおかげでゼネコンとのパイプがあったこと

・4つある建屋すべて、同じゼネコンで建てたこと

・会議をしていた建物と同じ建物にゼネコンのオフィスがあった

の理由で、早期からゼネコンとの協力体制ができました

これも、復旧スピードを幅に高める一因です

弊社は日系のゼネコンにお願いしていましが、会社によっては、増築時は安いローカルのゼネコンに頼んだ場合も多く、構造に責任が持てないためなかなかゼネコンの協力が得られず大変苦労されていました

学び5:もしものために、建物は同じゼネコンにお願いするのがベター

(ただし、相見積もりは必要)

どこで復旧するか

工場が浸ってから数日後、

「上流で先に浸水した某大手メーカーが日本中の成型機を買い占めている」

という、うわさが伝わってきました

成型機は、プラスチック部品を作る設備で、弊社にとっては非常に重要です

これがなくては建物が復旧しても生産できません

多分、誇張された話だとは思いましたが、確かに、今回の洪水で新たに設備投資する会社が、一気に注文をかける

もし、注文が遅れれば、その分、加速的に納品が遅れることは容易に想像できます

3日注文が遅れたら3か月納期が遅れるとまで、うわさが流れました

また、同時期にボートで社内に入った社員から「設備は完全に水没した報告」を受けました

写真の黄色い板が見えますが、これが設備の一部です。

高さ2m近くある設備がここまで浸かっていました

ここで、すぐに新しい設備の注文を掛けたいと考えましたが、その前に大きな判断が必要です

どこで復旧する (*_*)

当時、私はまだ世間知らずで血気盛んでしたから、

視野が狭く、元の場所での、元通りに早く復旧することしか考えていませんでした

私の工場は、中国以外の国への商品供給工場でしたので、復旧が遅れれば、世界で我々の商品が全くなくなる、

ある種の恐怖すら感じました

自分の会社だけでなく、商品を供給している流通の人も困ります

サプライヤーもです

加えて、従業員です

一時も早く、復旧させ、彼ら・彼女らの職場を確保し安心してもらわなくてはなりません

この気持ちがすごく強かったです

しかし、よくよく考えたら(ほかの工場との情報交換で気づいたのですが)

同じ場所で復旧したら再び洪水が発生するリスクがあります
  (結局、政府が再発防止策をとり、個人的に「再発はない」と後に確信しました)

・復旧となると、何億ものお金がかかります

・保険金もどこまで出るかわかりません
  (実際、後日とても苦労しました)

・設備の再利用ができる可能性もあります

・元通りにせず、投資を最少に抑える規模での復旧する、
  能力不足は海中でカバーする考え方もあり

検討しなければならないことが沢山あります

しかし私は、親会社には「設備発注する」と口頭報告のみで、

自分の判断で、設備の発注をGoしてしまいました

現地の権限の範囲で、「稟議書を分割」するという、社内の稟議規定違反ギリギリの方法をとりました

今思うと、やってはいけないことです

でも、おかげで、どこよりも早い復旧ができました

この時の私の判断が正しかったのか

今でも考えることがあります

結局、ほとんどの会社が同じ場所で元の規模の復旧をしたことを考えると、結果としては正しかったのかもしれません

「どこで復旧するのか」を時間をかけて検討したため、復旧が半年以上遅れた会社もたくさんあります

はっきり言って、勢いでやってしまった感イッパイです

ただ、この時の私の判断としては、

①他の地で同規模の工場を作るには、数年かかる
  (これでは、我々の商品が世の中の中から消えていく)

②こんな洪水が起こった以上、再発防止策は国として確実に行う

③他で、復旧するにしても設備は必要

④設備を最小限に抑えて、不足分を外注に頼むにしても
  この洪水の状況で外注先を確保できない
  また、部品価格が上がって利益が減り投資回収ができない

これ考えが、心のよりどこでした

根拠はありません

再び洪水が起こるリスクをどう考えているか、論理的説明できません

結局、設備を発注した後、日本の上司から

「なんぼかかるねん?」

「〇〇億円です」

「はぁ~~~~、おまえな~~~~」

とだけ言って、お咎めなし

上司も、同じ土地での復旧するしかないと考えていたようです

この、発言を聞き、ゼネコンにも、元の地で復旧することを伝え、準備にはいってもらいました

ここで、学びとして

学び6:緊急事態時は、稟議規定にとらわれず、現場の判断に任せるべき

と、書きたいのですが、

あくまで結果としてはOKでした

しかし本当に、「リスクとリターンを衆知を集め慎重に検討したか?」

という問いに対して、直感的に走った反省もあるのは事実です

ただ、後日、この工場を離れるとき、従業員から

「 洪水の時、何をしていいのかわからず、職がなくなる不安の中なか、ケビンさんが、

『元の地で、すぐに復旧を開始する』

と方針を明確にしてくれたこと、とても嬉しかったし、するべきことが見えた。だから復旧に頑張れた。」

と言ってもらえたこと、

この言葉が、少し、私の心を楽にさしてもらっています

そして、

学び7:組織を動かすにはTOP方針が最重要

であることを学ぶことができました

まとめ

いまだ、何が正しかったのか、結論はありません

当時の私の気持ちを思い返すに、結果に対する満足と、感覚で突っ走った反省が入り混じっています

「間違ったことはしてない」

と思いたいですが、結果オーライの面もあります

「結果が良かったのだから、検討して時間掛けるより良かった」

と、思うときもあるし、

「工場の責任者としてリスクに対する考えが不十分」

とも言えます

今回、できるだけ整理して書いたつもりですが、わかり難い表現になっているかもしれません

後年、また読み返し、考えを整理したと思います

でも、結論はでんわな ハハハ・・・・

コメント

タイトルとURLをコピーしました