【工場の閉鎖で感じたこと(6)】工場閉鎖の従業員への発表から生産完了まで

ものづくりの話

海外赴任先の海外連結子会社(工場)を閉鎖した経験があります

こんな仕事はできるならしたくない仕事ですが、時代とともに環境が変化するなか、やむを得ない決断をしなければならない時はあります

その時の経験を備忘的に書き留めています

第6回目、従業員に工場閉鎖を伝えてから生産完了までの話です

作ったことない数量の製品を必死のパッチで生産しました

発表後の生産

従業員への発表することで一番恐れていたことが、従業員のモチベーションダウンにより生産が進まないことです

ただ、幸運にもこの心配は全く杞憂に終わりました(詳細は第3回を参照してください)

【工場の閉鎖で感じたこと(3)】強制的に退職させられる従業員たちへの対応
海外赴任先の海外連結子会社を閉鎖した経験があります。その時の経験を備忘的に書き留めています。第3回目、従業員に退職時の対応についてです。

従業員は全員、本当にまじめに取り組んでくれました

ただ、その生産活動自体は本当に大変でした

なぜか、

工場閉鎖後、別の工場で生産を移管するまでの期間の商品の在庫を作らなければなりません

加えて、通常の販売分の生産も必要です

通常の販売分を生産するのもそれほど余力を持って生産したわけではありません

その上に、在庫分です

発表から生産終了まで半年、別工場の立ち上げまでが約半年ありましたから、つまり半年で1年分の生産をする必要があると意味になります

2倍の生産能力を確保しなければなりません

そのためにしたこと

1.毎日残業、毎週休日出勤は当然

従業員たちは会社が閉まる前にできるだけ収入を得たいので、結構残業に協力的でした

2.製品の切り替えのロスを最小限
 (通常は商品の在庫を最少化したいので、ロスを考えながら切り替えを頻繁に行います)

要は切り替えず、同じものを作り続ける

ただし、通常の出荷もしないといけないので、ある程度の切り替えは必要

3.ボトルネックになっている設備を廃棄しマニュアル化

生産能力のボトルネックになっている設備があり、生産能力を上げれませんでした

もう、その設備を撤去し、人を導入しての組み立てに替えました

人は増えコストはアップしますが、もうそんなことを気にしている場合ではありません

この提案をしてくれた移管先の工場長のアイデアには大感謝です

沢山出張者が来てくれ支援してくれましたが、正直「なんしにきたん」みたいな人も多くいましたが、この人だけは、本当に真剣に支援してくれました

4.いくつかの商品を移管せずに販売終了し、在庫を最少化する

これを、販売会社に頼みまくる

これが一番大変

販売会社は販売する商品が減ることを嫌がります

お客さんも簡単には納得してくれません

これらを実行し、何とか落ち着くとこに落ち着き、実現可能な生産計画を立てることができました

サプライヤーへの対応

次の問題がサプライヤー

自分の工場同様に、部品を納めてもらうサプライヤーも2倍の生産をお願いしなければなりません

それも、半年後には取引がなくなる会社相手の部品

当然、優先は下がります

そこを何とか、お願いしかありませんけど・・・

お金の要求はどこからもなくて安心しました

これも結構心配してたことです(当然余った材料の引き取り要求はきましたが・・・)

在庫保管場所

在庫保管場所も悩みです半年分の在庫です

通常商品の在庫は数日分しか持ちません

ですので、倉庫を探しまくりました

倉庫屋さんも、カラの倉庫を持ってたら商売になりませんので、そんな簡単には見つかりません

5棟ほどの大型倉庫が必要です(何平方メートルか忘れました)

ツテを探し回って、運よく倉庫を建設したての倉庫屋さんががあり、さらに目的としてたお客さんがキャンセルしてきたそうで、かなり困っていたようでした

これは、我々にしたら幸運としか言いようがなかったですね

まじめに生きていれば神様はいます!!(^▽^)/

マスコミ対応

もう一つマスコミ対応の問題がありました

この撤退、マスコミには発表していません

800人ほどの工場でしたし、広報部門もないので

しかし、当然と言えば当然ですが、情報がマスコミに知られ報道が始まりました

弊社、工場と販売会社は別法人で、今回の閉鎖はあくまで工場だけ

工場閉鎖後も他の工場から商品を購入し、販売は継続します

にもかかわらず、マスコミはめちゃくちゃええ加減な報道をします

特に「〇〇社 タイ市場から撤退」みたいな報道にはホント困りました

おまけに、報道機関だけでなく有名ユーチューバーまでが「〇〇社 タイから撤退」みたいなアナウンスまで

販売会社社長からは猛抗議(事前にマスコミ発表しないことは合意してたのですが・・・)

「そんなこと言われたって、俺が不正確な報道したわけではないし・・・」

と思いながら関係部門に謝り倒しました・・・・

報道機関のいい加減さを知った出来事でした

結局

日常と全然異なる生産活動だったわけですが、事前に考えていた(恐れていた)リスクはほとんど発生せず、予定通り生産を完了することができました

マスコミ問題は想定していなかったですが・・・・

大きなトラブルなく生産が完了できた理由

それはよくわかりません

いろんな人からいろんな過去の出来事とか聞いていましたが、ビックリするくらい順調に終わりました

タイの人とってもまじめで、無責任ないい加減なことはしない人たちだったのか?

いや、私の従業員への対応がすばらしかったのか????これは無い

単に幸運だったのか???

考えても仕方ないですが、ただ、まじめに最後まで生産してくれた従業員の皆さんに感謝ですね

ありがとう

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