【工場の閉鎖で感じたこと(4)】工場閉鎖が決まるまでの話し:いろんな思惑が乱れ飛ぶ

ものづくりの話

海外赴任先の海外連結子会社を閉鎖した経験があります

こんな仕事はできるならしたくない仕事ですが、時代とともに環境が変化するなか、やむを得ない決断をしなければならない時はあります

その時の経験を備忘的に書き留めています

第4回目、工場の閉鎖が決まるまでの様子と心境についてです

組織のいや~~なところをいっぱい感じた時期でした

拠点集約の検討が本社で始まる

工場を閉める決定までには、私の周りではいろんな出来事起き、またいろんな情報が届きました

これらを丁寧に書きたい気分はあるのですが、社内の微妙な話が沢山あるので書き方がかなり抽象的ならざるを得ないことご了解ください

さて本題に入っていきます

私が勤めている会社は世界中に製品の供給拠点、つまり工場を持っているのですが、それが「多すぎる」とトップ=社長が言い始めたのがこの話の切っ掛けです

そこから、沢山ある工場の一部を集約する検討が日本本社で始まりまし

閉鎖が決定される半年くらい前の話でした

その話を聞いた時、毎年赤字をかろうじて避けている状態だった私の工場も当然検討対象になると感じました

おまけに、近くの国には収益性がよく、かつ類似の製品を生産している工場があります

「その工場に集約される可能性あるなぁ」と思ったのも事実です

しかし、多くの従業員を預かる現場の社長の立場として、彼らの職を奪うことは避けたいと考え、何とか工場の継続するように動きました

この時点で本社を中心に「会社閉鎖派」「会社継続派」「どっちでもええやん派」の人たちそれぞれの思惑が混じった活動が始まります(この場合の「会社」の意味は私が担当している海外現地法人のことです)

想像以上に個人の思惑が入り混じる、本当に人間不信になるようなことが多く発生した期間でした

閉鎖検討対象になった理由

私の担当していた会社が検討対象になった理由=収益が低い理由を話しておきます

いろんな理由がありますが、一番大きな価格競争が最も厳しい市場、顧客を対象とした製品を製造していたことが大きな理由になります

個人的には、工場としての実力の問題が全くないとは言いませんが、それが大きな理由とは私には思えませんでした

工場の改革は実行しながらも、何とか収益性を確保できる製品の生産をさせてもらえるように、本社に依頼しましたが、極めて反応は冷たく「自分でなんとかせんかい」という態度でした

話がそれますが、

私の考えとして、「事業の責任は日本本社」「日本本社の事業方針を受け現地会社の経営の責任は現地社長」と考えていました

それぞれの工場の経営が成り立つように、「本社でしっかり拠点戦略を考え、現場がそれを実行する」という意味です

それをせず、例えば「現場の工場が収益性の良い製品を取り合う」みたいなムダなことはするべきではありません。

拠点集約の検討が始まってからの出来事

拠点集約の検討が始まってからは、先ほど述べたようにいろんな人のいろんな言動があり、現場を預かる身としては、嫌な思いをたくさんすることになりました

本社の「会社閉鎖派」は社長の方針を早く具体化したいために、何も決まっていない段階で「閉鎖」ありきで私に話を持ってきます

◇事例1

本社の会議で「〇〇の閉鎖は今後の検討(〇〇は私の担当会社)」との結論で終わった後、「閉鎖派」は

「ケビンさん、会社閉鎖で決まったから準備お願いします」

と言ってきます

「ちょっと待て、当事者のヒアリングもなく、経緯の説明もなくいきなり決定かよ」

とかなり不愉快な思いをしました

しかし、別の会議出席者に聞くと

「検討対象になっただけでまだ決まってないで。他にも多くの会社が検討対象になってる」

との話

また後日、社長が

「決めるにあたり、現地の会社を視察する」

と言って、検討対象会社を回って行きました

この時、対象になった多くの会社の内、最終閉鎖されたのは私の担当会社含め2社だけでした

つまり、閉鎖が決まったというのは全くのウソの情報だったということです

「会社閉鎖派」が早く私の担当会社の閉鎖を既成事実化しようとした意図を感じる嫌な出来事でした

◇事例2

本社社長が現地に視察に来た時でも

「会社閉鎖派」は現地の販売会社と組んで話を閉鎖の方向にもっていきます(弊社は製造会社と販売会社を別法人にしています)

私の会社に視察に来た時、私は今の工場が如何に価値があり、今後収益を回復させるストーリーを説明しました

最終の決定には組織に所属するものとして従うのは当然ですが、やはり決まるまでは、「自分の会社、従業員を守りたい」の気持ちで必死で訴えました

しかし、販売会社の本社社長への説明は

「〇〇の会社閉鎖後も・・・・で販売会社としては販売、利益を確保します」

みたいな説明をされてしまいました(〇〇は私の担当の会社)

これには、唖然、ブチ切れそうになったのですが、逆に社長から

「なんで現地の製造会社と販売会社の言うことが違うねん。ちゃんと話せんかい」

とかなりきつい調子で叱られる始末です

◇そのほかの出来事

他にも、「日本で生産している製品を移管させ会社継続」の提案もありましたが、日本の工場側の必死の抵抗でこの話もつぶれていまいました

あとは関係部門の腹の探り合い

「閉鎖派」も自分が決めたことにしたくないので、外堀を埋める活動は必死でしますが、彼らが結論を出すことはしません

悪者になりたくないからです

結局、私の会社で製造していたある製品の日本側の責任者が

「私の製品は〇〇では生産をやめ△△の工場に移管する(△△は近くの国工場)」

と、決断し、その後、他の製品の責任者も

「そんなら私もやめる・・」

みたいな感じで、あっさり意見が集約され、社長も承認

ハイ「工場閉鎖決定」

「ケビンさんよろしく」

そんなあっけない流れでしたね

先の責任者は結論を出した背景は最終的には

「日本の工場を維持する。移管はしない」

との判断です

つまり

「日本人の雇用は守る、現地の人たちには辞めてもらう」

との判断をせざるを得なかったようです

決定時の心境

決定後、守秘義務契約を結び何人かの部下・関係者に決定を伝えました

その多くは、収益化のために必死に頑張った人たちなので、かなり大きいショックだったようです

私自身は閉鎖決定までの経過をみていたので

「ああ、決まってしまったかぁ」

と言う感じでした

決定の理由も納得いくもので、結構スムーズに気持ちの切り替えはできました

しかし、決定に至る経緯、特に「会社閉鎖派」の面々の動きに関しては、決定後も、いや、いまだに思い出すと嫌な気分になります

「会社閉鎖」が自分の考えが正しいと思うなら、その合理的根拠により決定を導いてほしかったと、残念に思う次第です

以上複雑な人の動きをうまく表現できたか自信はありませんが、

「社内の決定にはいろんな人がいろんな思惑で動くもんだ」

ということが伝われば良いかと思っております

私のような、製造現場で汗かくのがメインの人間には到底無理な世界でした

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