【工場の閉鎖で感じたこと(7)最終回】生産完了から会社を閉めるまで:判断に困っても決めて前に進めよう

ものづくりの話

海外赴任先の海外連結子会社(工場)を閉鎖した経験があります

こんな仕事はできるならしたくない仕事ですが、時代とともに環境が変化するなか、やむを得ない決断をしなければならない時はあります

その時の経験を備忘的に書き留めています

第7回目、生産を完了し、工場を閉めるまでの話です

最終回になります

全くの手探りの活動でしたが、決めて前に進めば何とかなるもんです

工場を閉める

最初に「工場を閉める」の言葉をかえると「事業会社から清算会社への移行」となります

事業活動を完全に停止し、会社を清算するために会社になります

ですので、事業会社がなくなった時点で実質会社としては無くなったことになるのですが、最後の決済と最終の税務処理を行うことで会社をなくすことができます

事業会社を閉めた時点で全従業員は解雇しますが、一部の経理社員は別の事務所を借りて、決済をします

その後、税務署が税務監査に来るのを待つのですが、タイの場合これには数年かかります

ですが、いつまでの社員を残すわけにはいかないので、外注=監査法人にお金を払って税務署への対応をお願いすることにしました

以上は、本題ではありません

会社を閉める=事業会社から清算会社への移行との定義で話を進めます

本題は、生産が完了し、会社を閉める作業そして最後土地建物を売却引き渡し、事業会社として終了する話です

清算会社に移行した時点で、私は社長の任を解かれ、次の赴任地マレーシアに向かいました

生産終了後の主な撤退業務

生産終了後の、主な撤退業務を挙げると

・設備の売却、廃棄

・残った資材(部品や材料)の売却、廃棄

・製品(在庫)の出荷

・補修用部材の手配

・土地建物の売却

こんなものでしょうか

これらの作業を約半年かけて実行しました

設備の売却、廃棄

これは工場閉鎖が決まった当初からその費用を含め結構悩ましい問題と考えていました

しかし、閉鎖が公表されてから、沢山の会社から設備、機械の購入や競売にかける売り込みがきて、結果的にはほどんどのモノが売れ、費用は必要ありませんでした

むしろ売却した益が出る状態で終わることができました

結果として、汎用設備(どこの工場でも使える機械)は中古品として中古設備屋さんに売却

結構古い設備でも売れます

仮にタダでも、引き取ってもらえるだけ廃却費用が掛からないだけありがたいです

ほかの、専用の部品や備品はすべて競売屋さんを通して競売にかけました

弊社専用の機械でも部品を取り出したりしたり、鉄くずとして使えるそうです

買ってもらえて、運び出してもらえて助かりました

「こんな仕組みがあるのか~~」と、世の中を知らないと損すると思った出来事の一つですね

資材(部品や材料)の売却、廃棄

これは結構大変

捨てる作業自体は、業者にお願いするので特に問題ないのですが、その手続きです

部品資材の中には、輸入品を免税で仕入れているものもあり、これを勝手に捨てることは脱税になります

あくまで、輸入した資材で商品を生産し再輸出することを前提に国から免税を認められているからです

つまり捨てる場合は、税金を払わなければなりません

その、税務署が確認になかなか来てくれない

やきもきしながら、何とか間に合った感じです

さらに、サプライヤーさんの資材在庫

サプライヤーはここぞとばかり、今まで分含め残った資材の廃却損失を請求してきます

一つ一つ精査し、必要以上の請求が無いかを確認して、損失を最少化する作業が必要です

担当は結構疲れたと思います

製品(在庫)の出荷

作り貯めした製品在庫を出荷しなければなりません

これ自体は、粛々とする作業なのですが、

事業会社として終わるまでにすべてを出荷しなければならないのですがチョット問題

当時コンテナの確保が難しく遅れる心配が出ました

最終3倍以上のプラミアム価格の費用を払って、何とかコンテナを確保しての出荷

これも、少しひやひやしたことの一つです

補修用部材の手配

これは、今まで工場から出荷した製品に対し、修理が必要になった時の交換部品のことです

この交換部品を手配し、工場を閉めた後にどこかに預かってもらう必要があります

これをどこに預かってもらうかで、おおモメです

誰も、こんな在庫預かりたくないですから

これは、日本のケツをたたいて交渉させ、最終日本側トップの指示で決着することができました

もう一つ、この部材の準備配送作業が想像以上に難航し、手間と時間がかかりました

いったん退職した社員に声をかけ、再度出社してもらい何とか間に合わせるバタバタまでやっちゃいました

土地建物の売却

最後に土地建物の売却

これはさすがに素人は無理で、日本本社の「管財部」にお願いしました

「管財部」所属の、国際的に不動産を売買を行う会社に勤めた経験のある担当者にお願いし、インターナショナルな不動会社(名前忘れました、結構建築中の建物の看板に名前が出ていること気づきました)コンタクトを取ることから始めました

直ぐに売却できる場合もあれば、数年かかることもありうることを前提になるものの、何とか事業会社として終わる前に売却することを目標にスタート

募集をかけて応募会社の「ロングリスト」を作成し、そのリストの中から交渉を開始です

弊社、土地建物的には結構大きな規模の工場、最近、タイへの投資が下火、築年数が30年近いこともあり、案の定それほどの多くの応募がなく厳しい交渉になりそうな気配たっぷりの状況

事前に不動産鑑定をしもらっていたのですが、その額より大きく下回る金額の応募ばかり

海外企業の応募もいくつかあったのですが、コロナ禍で現地確認ができないのでNGみたいな話も多くガッカリ

私としては、事業会社としての会社を閉めるまでに完了したかったのですが、不安がよぎる中、数か月後希望額に近い金額の相手が見つかり交渉開始です

当然、本社「管財部」を通してのお願いです

応募は現地ローカル会社です

その交渉中に中国からそれ以上の金額のオファーがあり、アリャアリャ

どこで知ったか、私のメールアドレスに直接売り込み

「困ったなぁ」と思っていながら情報を集めていたら、交渉中のローカル企業はどうも、その中国企業が依頼している現地企業らしいことが判明

中国企業はもっと高い金額で購入してもいい考えっだったけど、現地代理企業が安く買おうとする算段だったと判断

この情報のおかげで、希望額に近い金額で契約

3月までにすべての手続き完了、そして先方への引き渡し、

翌日一部の経理社員を残して残務をしていてくれた全従業員退職

残った経理社員は、別事務所を借りて本社指示のもと清算業務へ移行
(現在は、皆退職し外注へ委託)

そして私は次の赴任地マレーシアに旅立ち、今回の会社弊社業務を無事完了しました

後記

経験のないことでしたが、色々ドタバタしながら、何とかなりました

判断に迷うことがあっても、決めて前に進めば、その先で失敗しても、また修正すればいいわけです

決めずに、放置すると何も進ません

最後は開き直りですで

「なんとかなるやろ~~」

てな感じですかね

普通の人が経験できないことを経験させてもらったと、ネガティブには考えていません

ただ、従業員たちがその後、いい人生を送れているのかが気になるところですが、こればっかりは願うだけですね

私の工場閉鎖の話はこれで終わります

楽しんでもらえたかはわかりませんが、「こんな仕事もあるんだ」と思ってもらえればいいかなと

ありがとうございました

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