個人的なことで申し訳ないのですが、私は40歳前半まで非常に切れやすい性格で、多くの人を不快にし、自らも損ばかりしていました
そんな私ですが、十分ではないのは承知したうえで、いろんな経験の中で、自他とも認められるほど、前ほどは切れない性格に変わったことについて話したいと思います
同じような性格で、困っている方がいれば参考にしていただければ嬉しく思います
「あれ、俺ちょっとマシなったんちゃう」と思った時
今思えば、恥ずかしいくらいに怒りっぽい性格でした
家族に対しても、部下に対しても、時には上司に対してもです
今、根本の悪い部分が完全に修正されたとは言えないのですが、表に出ることはかなり減ったように思えます
「歳を取ったから」と言えなくもないのですでが、それには大きな切っ掛けとなったことがあったように思っています
おかげで、いろんな人の協力や理解が得やすくなり、仕事が上手く進むようになったと感じます
ヤッパリ、怒る相手とは仕事したくないですよね
変わる切っ掛けの話の前に、変化に気づいた時のことを話します
〇タイから帰任後、妻に指摘される
2009年4月から2013年12月まで(43歳~48歳)1回目の単身での赴任が終わり、日本に帰国してしばらくして、夫婦の何気ない会話の時に
妻:「お父さん、なんか変わったね」
ケビン「何が?」
妻:「なんか、怒らなくなった」
ケビン「へぇ~、そうか??」
その時、私自身は変わった自覚がなかったので、多少???状態だったのですが、確かに言われてみると、家で過ごす時間長くなる中で、「妻がそう言うならそうなんだ」「そういや、そんな気がする」って感じた最初の瞬間でした
〇帰任後、元の部署に戻って、若手社員にビックリされる
会社でも、同様のことがありました
私が、赴任中に配属された若手社員(つまり、タイに赴任する前の私を知らない人たち)との会話の中で
ある若手社員:「ケビン部長、聞いてた話と全然違うんですけど・・」
その場にいた他の若手社員「そうそう・・・・」
ケビン「何が?」
若手社員「僕たち、先輩たちに『メッチャ怖い部長が帰ってくるからお前ら覚悟しとけよ』と言われてたんです。でも実際に接したら全然怒らないし、あれ?て感じで、拍子抜けです」
確かに、「なんか俺、帰ってきてから、部下に対してあんまり切れないなぁ?」てその時、思いました
タイに行く前、しなければならない仕事に対し手を抜こうとしたり、逃げようとする人には徹底的に厳しく接していました
そんな私が、「全然怒らない」って言われてしまいました
〇さらにその後
その後、再び海外赴任を命じられ、上海~バンコク~クアラルンプールへと異動しました
このころになると、自分でも、「あれ??、オレ切れんようになったなぁ~」って自覚するようになりました
少なくとも、この3年(53歳以降)、腹立つこと、怒りを感じることは多々あるものの、少なくとも切れた記憶はありません
少し自分でも、びっくりしています
自分を変えたと思う出来事1
ということで、切れなくなる切っ掛けになったと自分なり感じていることを2点ほど話します
一つ目は、現場研修の講師の方から学んだことです
タイ赴任して当時、私は現場を如何に改善するかを最優先課題として現地法人の経営に取り組んでいました
しかしながら、「なかなか改善が進まんのぉ」と、結構考えることが多かったです
「改善が進まない」というよりは、「改善しようとする文化がない」と言った方が正しいでしょうか
そんな話を、海外工場の経営をしている先輩と話している時に
「現場の人は、とにかく生産すること、マニュアル通り、決まった作業をすることが仕事と理解している。だから、現状を変えること、つまり改善することが仕事であることを教えないと何も進まないよ」
とアドバイスをもらい、そのトレーニングをする講師の方を紹介していただきました
講師の方は、サラリーマンを定年退職され、新たな仕事として現場従業員の意識改革を主に指導する仕事をされている方でした
さっそく、講師の方に来ていただき、管理職~現場リーダーに対して研修を始めました
私自身も学びたく、その研修にすべて参加するようにし、研修の内容自体からも多くのことを学んだのですが、
それ以上に、講師の方の研修中の態度と言いますか、姿勢から大きな学びを得ました
1クラス10人程度の講義形式での研修なのですが、講師の方はまず、受講生一人ひとりについて質問をされます
その時、受講生(弊社ローカル社員)の答えは、答えになっていないことが非常に多いです
そりゃそうです
理由は、後に私自身が気づいたのですが、
今まで聞いたこともないような質問ばかりですから、まともに答えられる方がおかしいです
しかし、当時の私は、研修中なので発言しませんでしたが。心の中で「ちゃんと、質問にこたえんかい」とメッチャ、イライラしていたのを覚えています
質問に答えないのは、この研修に限らず、仕事中、常に思っていて、しょっちゅう切れていました
ところが、この講師の先生は、
どんな訳のわからん回答にたいしても、常に笑顔で話が終わるまで聞き、決して否定せず、粘り強く聞きたいことを何度も訪ねるのです
そして
徹底的に聞いた後、先生が伝えたいことを話し始めるのです
そうしたら、
受講生たちは(ローカル社員です=私の部下たちです)いつも私の話を聞くとは全く違う姿勢で、先生の話を聞いているではありませんか
当時の私でしたら、とっくに切れて、厳しく言っていたのは間違いないでしょう
今思えば当然ですが、そんな怒りを持った伝え方で、相手が効く耳持つわけないですよね
その時、学んだのが
「対手に自分の言いたいことを伝えること=相手の話を十分聞くこと」
これは、本当に大きな気づきでした
自分を変えたと思う出来事2
私、2度目のタイ赴任で現地法人を閉鎖する経験をしました
約800人の従業員の会社でした
本社の方針に互い、トラブルなく平穏に会社を閉めることが大きなミッションです
4月に従業員に会社を閉鎖することを発表し、10月に生産完了、さらに半年かけて片づけを行い3月末をもって引き上げました
その工場で生産していた製品は、別の工場へ移管
移管先で生産を立ち上げる間、お客様に供給する製品の作り貯め生産を4月から開始しました
通常の注文もありますので、その間平時の1.7倍程度の生産をしなければなりませんので、従業員には相当無理をお願いすることになります
この時の大きな心配が「半年後解雇されることが分かっている従業員が、生産にまじめに協力してくれるだろうか?」 ということでした
事前に、元労働局の役人をされてた人とかにもヒアリングしたのですが
「ケビンさん、発表後7か月も生産を継続するのはリスク高いですねぇ。発表、即、生産中止するべきですよ」
って、アドバイスされるし、
実際、同じころ撤退した大手の会社は、発表の2週間後に生産を終えました
しかし、設備や金型を移管先に送り準備ために、どうしても半年の生産期間が必要です
大きな不安を抱えながら、閉鎖の発表~生産の継続を進めた次第です
結論を言えば、従業員たちは生産完了さらには後片付け含め、完璧に仕事を全うして、ほとんど問題なく閉鎖をすることができました
また、機会があれば、この経緯を記事にしたいと思いっていますが、前に記事にしたタイの大洪水のとの時同じく、本当にタイの人たちの姿勢に救われました
おかげで平穏な撤退の中では私は全く怒ることなく、穏やかに過ごすことができました
従業員だけでなく、本社の対応の悪さに、腹立たしいことはありましたが、怒る、切れることはありませんでした
生産が完了し、工場が空っぽいなっていく日々を過ごす中で、
「一連の撤退作業で人に対して怒らんかったなぁ」と思いながら、なんでやろ?
と考えました
当然、従業員に対し、内容的にシンドイ仕事をさせたりしましたが、怒ることはなかった
意識したわけではないのですが、
『数か月で閉鎖される会社の従業員に対して、社長が切れた時、従業員に開き直られ、「マジめに働く気がせんわ」って思われたら、一番困るなぁ~』
って、考えていたことが心理的に怒りを出させないように、自分をコントロールできてたのでは
と考えるようになりました
そして、結局、怒って人に話さんでも、これほど上手くコトが運ぶ
ことを経験することに至ったわけです
そして、
相手に「切れる」ということは、その相手は決して逃げないという「安心感」というか「甘え」見たいものがあるから切れことができる
との考えに行きつきました
言葉を換えれば、相手の方が弱い立場だから「切れる」ことができると言うことになるでしょうか
なんともはや、恥ずかしいことだと今では思っています
まとめ
50歳くらいまで、仕事や家庭でしばしば相手に対して切れていました
ここ数年、人に対して切れて、怒ることがなくなりました
腹立たしいことはありますよ
でもコントロールできるようになりました
その理由は二つ
「人の話を聞くことで、自分の考えを伝えることができる」
「切れるのは、相手の弱い立場を利用してるからできる」
これらを学んだおかげでしょうか
これらを気づかせくれた、多くの皆さんに感謝ししています
私のつたない経験ですが、怒りっぽいことを自覚し困っている方、参考荷れば嬉しいです
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